豆知識

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目をひらく=開眼供養のこころ

新しくお墓を建てたり、建て直したりした時には必ず開眼式を行います。
この法要を営むことによって墓石に入魂(にゅうこん)され、私達が礼拝するのに ふさわしい尊さがそなわるとされています。  
入魂式(にゅうこんしき)・入仏式(にゅうぶつしき)・お魂入れ(おたまいれ)・ 性根入れ(しょうねいれ)・御移し(おうつし)・開眼供養(かいげんくよう)など 宗派や土地柄によってさまざまに呼ばれ、法要の営み方にも違いがあるようです。  
お墓を建て開眼供養を営むのは、単なるしきたりというばかりではありません。
大切なこの生命を、幾代にもわたって受け継ぎ伝えてくれた、ご先祖さまや故人 に感謝し、供養をささげつつ、むしろ私達自身が開眼していくことが眼目といえ ましょう。  

開眼-、眼をひらくと書いて開眼(かいげん)と読みます。入魂された墓石に 私たちが心をこめてぬかずく時、はじめて供養の本来の容儀がととのえられ、 ゆるぎのない人生をまっとうするための「目」が開かれるのではないでしょうか?

  • お墓を建てる
  • お墓参りのマナー
  • 追善供養のあらまし
  • 法要のすすめかた
  • 仏教の年中行事

墓地を購入したり、お墓を建てたりすることは一生のうちでそう度々 あることではありません。私たちにとってなじみがうすく、とまどいがちなのも 当然のことです。  だからこそ、信頼のおける石材店を選ぶことが大切です。 当店では長年の経験と信頼にもとづき良心的な施工と建墓のお手伝いを お約束いたします。

お墓はいつ建てるべきか?

お墓を建てる時期に一定のきまりはありませんが、開眼法要を営む必要を 考えれば法事にあわせて建てるのがよいでしょう。新仏のあるお宅では墓地が ある場合、一周忌に建てることが多いようです。

墓地のない場合は?

寺院墓地を購入する時はご自分の家の宗派を確認して選びます。最近、  寺院によっては宗派を問わず受付けるところもあります。公営や民営の霊園の場合、管理や施設の状況と、申し込んでから購入できるまでの時期と時期などをよく確かめ、経営内容もしっかりとしているところを選びましょう。遺骨はお墓ができあがるまで、寺院や霊園の納骨堂に預けておくこともできます。

お墓はどれくらいの期間で完成するか?

お墓を建てるにあたって要する日数は、石材の加工から始めて、基礎工事から据付までおよそ一ヶ月以上はかかります。予定をよく考え合わせて早めに発注しましょう。

適当な墓地の広さとは?

霊園ですと三平方メートルくらいの墓地が多いようです。建てるお墓の形式や予算に応じて広さを決めましょう。

お墓を建て直すときは?

お墓を新しく建て直すときは、古い墓石のお魂ぬきの法要を行います。そして、新しい墓石を据付けて開眼法要を行いお魂入れをします。

お墓を移転するときは?

お墓を別の場所に移転し遺骨することを「改葬」といいます。改葬する際には 書類上の手続きを必要とします。まず
①埋葬証明書を旧墓地の管理者に発行してもらいます。
②受入れ証明書を移転先の墓地管理者に発行してもらいます。
③それらを旧墓地のある市区町村の戸籍課、あるいは市民課などに提出し、改葬許可証の交付を受け移転します。移転したら開眼法要を営みますが、改葬時には今までの墓石をそのまま移すにしろ、改葬を機会に新しいものにかえ古い墓石を無縁仏として処分するにしろ、ご僧侶にお願いしてお魂ぬきの供養をします。

生前に自分のお墓をつくったら

生前建てるお墓のことを「寿陵(じゅりょう)」といいます。家に幸せをもたらし、長命を約束されるとされています。その名称からもわかるようにおめでたいこととされていますので、ご僧侶へのお布施も紅白ののし袋を使用します。墓石に仏名または俗名を刻んでおく場合、文字に朱を入れておきます。

葬儀や年回法要にあたっては法要のすんだあとお墓参りを いたします。
そして、お墓参りのあとに会食というはこびに なります。
春・秋の彼岸やお盆、故人の命日などにもお墓 参りをいたします。
何かにつけて故人を偲びお墓参りをする 習慣は、私たちの心にしみじみとした落ちつきややさしさを よみがえれせる美しい風習です。
家族そろってお墓参りいたしましょう。

お墓参りの仕方

お墓まいりには特別に定められた作法はありませんが、一般的には次のような手順でおまいりいたします。

  1. 掃除をします。お墓の周囲の雑草や落葉、またお墓にそなえられた古い花や線香の燃えカスなどを取り除き、 掃き清めてゴミと一緒に燃やすか、ゴミ袋に入れ墓地に 設置されているゴミ箱に捨てるかして始末します。
  2. 古い卒塔婆(そとうば)が残っている場合、抜き取って燃やします。新しく卒塔婆を立てる場合にはお墓がきれいになってから塔婆立てにたてます。
  3. 墓石を清めます。たわしなどでこすり、ほこりや苔を水できれいに洗い流します。
  4. 花立に水を入れます。新しい花をいけ、水鉢に手桶の水を入れます。この時水鉢の水にしきみの葉を浮かべる古いしきたりもあるようです。水手向け(みずたむけ)といってこのしきみの葉でお墓に水をふりかける姿も見かけます。
  5. 線香の束に火をつけ線香立てに立てます。神式のお墓参りの場合には墓前に線香も花も供えず、榊(さかき)を立てて拝みます。
  6. 菓子や果物などお供物を供える時は適当な器か紙などにのせて供えます。
  7. 墓石の一番上から手桶の水をまんべんなくかけます。
  8. 血縁の深い順に合掌礼拝します。墓碑が比較的低い位置にある場合にはなるべく墓碑より身を低くしておまいり  しましょう。

合掌について

合掌は仏前でのもっとも基本的な作法です。
左手は凡夫の迷いの世界であり、右手は仏さまに象徴される悟りの世界であるといわれ、左右の手をあわせて合掌する姿こそ仏さまに帰依し救われていく姿であるとも言われています。

忌中の法要

故人が亡くなってから四十九日の間を中陰ともいい、 忌中とします。七日目ごとに法要を行い四十九日を もって忌明けとしています。亡くなってから次の生をうける間、七日目ごとに審判 が行われ四十九日に故人の来世が定まるといういい 伝えから七日目ごとに法要を営み、追善供養をする ようになりました。  最近では忌中の法要としては初七日の法要と、 三十五日か四十九日のどちらか一方の法要の都合 二回のみを営むのが一般的になっています。

初七日の法要

亡くなった日から数えて七日目の法要です。葬儀後にあらためて初七日の法要を行わず、遺骨迎えと同時にご僧侶に初七日のお経を あげていただき、同時にすませることも多くなりました。いずれにしろ 近親者や親戚・知人をお招きして法要後に故人をしのんで会食を します。

三十五日の法要(五七日)

宗派によってはこの三十五日を忌明け(きあけ)とするところも あります。またこの日に納骨をする場合もあります。初七日と同時に 寺院や自宅などで法要を行い会食します。

四十九日の法要(七七日)

四十九日は忌明けとされ、納骨・埋骨もほどんどこの日に行われます。 ご僧侶に読経をお願いし、親戚知人を招いて法要を行い、お墓に納骨 しおまいりしたのち、忌明けの宴をひらきます。また香典返しや、形見分け も忌明けがすんだら遅くならぬうちに行います。

逮夜(たいや)

七日ごとの忌日や年忌の前日を逮夜といいます。故人の冥福を祈り一晩中語り明かすというしきたり。関西、中部地区や宗派によって忌日そのものよりも、この逮夜を重視して逮夜法要を行うことがあります。

百ヶ日の法要

亡くなった日から数えて百日目に行う法要です。四十九日の忌明け がすんで仏さまになられた故人への、はじめての供養となります。百ケ日で故人に対する法要は一つの節目をむかえ一周忌からはじまる年忌 法要へとつながります。

祥月命日

故人が亡くなった日を命日といいます。祥月命日とは亡くなった月の亡くなった日ということで年に一度訪れる同じ月日の命日のことです。仏壇を清め、花や供え物を供えて供養し、お墓まいりをいたします。

月忌(がっき)

毎月、亡くなった日と同じ日がその月の命日で「月忌」といい家族そろって仏壇に故人の好物などを供え、心から供養します。

年忌法要

亡くなった翌年の祥月命日には一周忌の法要を営みます。そして 一周忌の翌年三回忌となります。一周忌のみが満で、三回忌以降の 年忌法要はいわゆるカゾエで勘定することになるのです。三回忌以後は 七回忌、十三回忌・二十三回忌・二十七回忌・三十三回忌・五十回忌・ 百回忌まであり、以後は五十年目ごとに法要を行いますが、一般家庭では 二十七回忌か三十三回忌で終わりにし、弔(ともら)いあげとして仏壇に 納めた故人の位牌をお寺に納めたりいたします。

永代供養(えいだいくよう)

故人の供養をする人が途絶えてしまうとか、子孫がいてもなんらかの理由で供養が続け られない場合、あらかじめ菩提寺などに依頼 して、命日や年忌、お彼岸やお盆のちきなどに 施主にかわりご供養していただきます。これを 永代供養といい、「永代供養料」として一定のまとまった金額をお寺にお納めします。その場合、施主の名とだれを供養していただくかを明記してお寺にお願いします。 

併修(へいしゅう)と取越供養(とりこしくよう)

一周忌を営む場合をのぞいて、年に二つ 以上の法要がある重なるときに、命日の早い故人の法要にあわせて一緒に営むことがあります。これを併修(へいしゅう)といいます。
また、年忌法要は故人の命日に行うこととされていますが、休日でなければ参会できないなどさまざまな事情から、実際の命日以前の休日などに法要を行うことが多くなりました。これを取越供養といい必ず命日よりもあとにしないのがしきたりです。

  1. 法要の施主を決めます。親の法要であれば長男かそれに準ずる人。夫の法要は妻。子の法要は親がなるのが一般的です。
  2. 法要の日時と場所を決めます。法要は寺院で行う場合、自宅で行う場合、霊園などで行う場合、特別な会場を借りて行う場合など  さまざまです。予算や規模に合わせて心づもりをし、寺院や会場などに連絡をとり、日時やだいたいの人数を伝え都合を確認します。
  3. 親戚・知人に知らせます。場所と時間が決まったらご縁のある方々に知らせます。近親者などには電話か口頭で知らせればよいでしょう。故人の恩人などで、電話等では失礼にあたる場合には早めに案内状を出し、できれば法要の2週間くらい前にはお返事がいただ  けるようにします。
  4. 法要当日施主は喪服を着用します。施主側の服装は正式喪服または略式喪服とします。法要を重ねるごとに喪の表現を簡略していくことになってますが、なるべくなら地味な服装を心がけた方がよいでしょう。
  5. お布施を用意します。土地柄や法要の規模などによってまちまちのようですが1万~10万円程度のお布施が多いようです。表書きには「お布施」とか「御礼」と書きます。また自宅など寺院以外の場所に僧侶に来てもらう場合、「御車代」を用意します。
  6. 法要が終わったらお墓参りをし、会食して参会者をもてなします。法要を営む場所が墓地から極端に離れている場合以外にはできる  かぎりお墓参りをいたしましょう。引出物を用意し、会食時にそれぞれの膳のそばにおいておきます。会食を省略するときにはそのむね  あいさつし、引出物と酒、折詰などを参会者にくばります。

華・香・燭

お香と花と灯明をお供えすることが、仏前に対する最も基本的なご供養とされています。仏前に花をささげる美しい心がそのまま仏さまの心として、ささげる者にはたらきかけ、香のかおりは、わけへだてなく、すみずみまにまでゆきわたることから、仏さまの慈悲にたとえられ、灯明は知恵をあらわす光明であるとされています。

修正会(しゅしょうえ)

年の始めを祝い、その年の多幸豊作を祈り、国家の安泰を 祈願する行事です。正月に宗派を問わず大宝会(だいほうえ) が行われます。鎮護国家の法令を寺院の中だけで営んだのが 原型ですが、近年は初詣という形で私たち一般も参加し、一家の繁栄を願う新年行事ともなっています。

涅槃会(ねはんえ)

お釈迦さまがお亡くなりになったとされる毎年二月 十五日に、『遺教経(ゆいぎょうきょう)』というお経を 読誦してお釈迦さまのご遺徳をしのぶ法会です。 昔から降誕会や成道会とならんで重んじられてきた 法会です。

降誕会(ごうたんえ)

四月八日に行われ、仏生会(ぶつしょうえ)とも灌仏会 (かんぶつえ)ともいいます。一般には花まつりとして親しまれ、 花御堂に奉安された誕生仏(たんじょうぶつ)に甘茶を そそぎ、お釈迦様がこの世に誕生された故事をお祝い します。

お彼岸-『彼岸会』

春、秋ともお彼岸の中日にあたる「春分の日」と 「秋分の日」の前後三日間、あわせて七日間がお彼岸です。 仏教では西方十万億度(さいほうじゅうまんおくど)に 極楽浄土があるとされ、その方角がこの日には正しく示される というところから、彼岸会を行います。ご先祖さまにもっとも 心の通じやすい日としてお墓まいりをし、故人をしのびます。

お盆-『盂蘭盆会』

お釈迦さまのお弟子の目連尊者(もくれんそんじゃ)が 餓鬼道におちた母親を救うために、お釈迦さまの教えを うけ、夏の修行を終えた僧たちに飲食を供養したという いわれにもとづき、毎年七月、地方によっては八月、または旧暦の七月に、十三日から十六日にお盆の行事 が行われます。故人が亡くなってから初めてのお盆を初盆 、または新盆といい、特に丁重に供養します。

お施餓鬼-『施餓鬼会』

お釈迦さまのお弟子の阿難尊者(あなんそんじゃ)が 焔口(えんこう)という餓鬼から「お前は三日のうちに死んで、その後は餓鬼に生まれるのだ。」と告げられます。そこで 餓鬼に飲食を施し、仏・法・僧の三宝を供養することによって難をのがれ、福徳長寿を得たというのがお餓鬼の 由来です。お盆の前後に行われることが多いようです。

成道会(じょうどうえ)

十二月八日はお釈迦さまが菩提樹の下で悟りを 開かれたといわれるところから、この日に寺院では成道会を 営みます。仏教の教えを開く講演会や法話の集いなどが各地で催されます。

除夜

人間を苦しめる煩悩が百八あるという節があります。除夜の鐘の音は苦しみや迷いを醒まします。心身を洗い 清めるとされています。一年の最後、新年を迎えるに あたり、百八回鐘を点打し、すべての煩悩を醒まします。人間の切なる願いのこもった行事です。